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第22回ゾミア研究会のお知らせ(2月3日)

2017/02/03 @ 1:00 PM - 6:00 PM

日時:2017年2月3日(金)13:00~18:00(12:30開場)
場所:京都大学東南アジア地域研究研究所 稲盛財団記念館2階 東南亭(201)
使用言語:日本語

プログラム

イントロダクション 13:00-13:05

第1部 13:05-14:35
「十八世紀のベトナム黎鄭政権と諒山地域―藩臣集団の祖先移住伝承に関する分析を中心に―」
吉川和希(大阪大学文学研究科博士後期課程)

第2部 14:45-16:15
「20世紀以降の中越国境-ベトナム東北山間部ランソン省のタイー・ヌンと中国―」
伊藤正子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

第3部 16:25-17:55
「ベトナム、ターイの始祖による盆地開拓の伝承」
樫永真佐夫(国立民族学博物館、総合研究大学院大学)

(各発表の発表時間は45分、質疑応答は45分)

 

要旨

吉川和希「十八世紀のベトナム黎鄭政権と諒山地域―藩臣集団の祖先移住伝承に関する分析を中心に―」

 18世紀は北部ベトナムにとって「危機の時代」であった。17世紀末以降多くの農民が流亡化したことにより、1740年代には北部ベトナム全域が動乱に巻き込まれた。また18世紀は東南アジアの「華人の世紀」に当たり、北部ベトナムでも大量の華人が山岳地帯に流入して鉱山開発が進められたが、同時に限られた資源をめぐって激しい競争が展開されていたと思われる。ただしかかる時代における各地域の実情を多面的に描き出す作業は近年ようやく緒についたばかりであり、山岳地帯の在地首長たちの対応についても、史料の制約もありこれまで殆ど考察されたことはなかった。そこで本発表では、山岳地帯の中でも諒山地域(現在のランソン省)に焦点を当てて在地首長の動向を考察する。
諒山地域は居住民の大半が非キン族であり、当該期には藩臣とよばれる首長を通してベトナム王朝による間接統治がおこなわれていた。諒山地域を含むベトナム東北(越北)地域は、同じ山岳地帯の西北地域などと比べれば、歴史的にベトナム王朝との結びつきが強かったとされる。そしてその証拠の一つに諒山地域の藩臣集団が、自身の始祖はキン族で15世紀初頭の黎朝創建に貢献したという伝承を持ち、「キン族起源」を権威確立の源泉としていることが指摘されている。しかし従前の研究では史料の制約もあり、かかる伝承がいかなる歴史的背景のもとで創作され、またいかに利用されてきたのかという問題は十分に議論されてこなかった。本発表では現地などで収集した家譜や公文書の写しなどを使用して祖先移住伝承に関するこれらの問題に取り組むことで、諒山地域の在地首長が18世紀の「危機の時代」に如何に対応しようとしたのかを考察したい。

 

伊藤正子「20世紀以降の中越国境-ベトナム東北山間部ランソン省のタイー・ヌンと中国―」

 20世紀初頭から現在まで、ランソン省タンラン村のタイー、ヌンが、国境を越えた中国側に居住する同系民族の壮との関係をどのように変容させてきたのかについて明らかにする。中越両政治権力(植民地時代を含めて)間の関係が、国境を挟んだ人々の関係に大きな影響を及ぼすと同時に、地元の人々の必要に迫られた様々な国境を超えた動きが、政治権力間関係のあり方に影響を与えたこともあった。また、国家関係を無視したり政策をすり抜けたりする地元の動きは現在も続いている。主として拙著『エスニシティ<創生>と国民国家ベトナム-中越国境地域タイー族・ヌン族の近代』(2003年、三元社)に基づくが、21世紀に入って、サトウキビ収穫時期に見られるようになった、ベトナムから広西壮族自治区への大規模出稼ぎ(密出入国)についても紹介する。

 

樫永真佐夫「ベトナム、ターイの始祖による盆地開拓の伝承」

 1945年までマイチャウを統治していたターイ(白タイ)首領ハ・コン一族が継承してきた、始祖らによるマイチャウの盆地への入植と開拓の伝承を取り扱う。その伝承のなかで、地勢ごとに住み分けている民族館の関係がどのように描かれているのかを、ソンラーを中心とするターイ(黒タイ)首領ロ・カム一族らの始祖ラン・チュオンによる移住開拓伝承とも比較し、明らかにする。

 

詳細

日付:
2017/02/03
時間:
1:00 PM - 6:00 PM
イベントカテゴリー:

主催者

Shimojo Hisashi