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第18回東アジア勉強会

2015/01/31 @ 1:30 PM - 6:30 PM

オープンな会ですので、みなさまのご参加をお待ちしております。
尚、場所等はHPでも確認できます。

https://sites.google.com/site/dongyamianqianghui/

日時:2015年1月31日(土)

場所:
京都大学 総合研究2号館 4階 第一講義室(AA401)
北口か西口よりお入りください。
会場(京都大学吉田キャンパス・百万遍キャンパス)までの道のりは、以下のアクセス・マップをご覧下さい。
https://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/about/access
キャンパスマップ(34番)
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_y.htm

プログラム:
13:30 開場
14:00 発表1:貴志俊彦(京都大学地域研究統合情報センター・教授)
     「日中国交正常化と日中間海底ケーブルの再生」
15:00 討論

16:00 発表2:楊小平(広島大学グローバルキャリアデザインセンター・特別研究員)
     「方法としての記念碑―戦争遺構、慰霊碑、供養塔に見られる戦争体験と地域社会―(仮)」
17:00 討論
18:00 終了

研究会終了後(18:30~)、懇親会をおこないます。こちらもご参加ください。
 
●発表1
 貴志俊彦(京都大学地域研究統合情報センター・教授)

●タイトル
 「日中国交正常化と日中間海底ケーブルの再生」

●要旨
 1972年9月の日中共同声明発表後、日中航空協定、日中貿易協定、日中漁業協定などの締結が順調に進まないなか、翌年5月に久野忠治郵政大臣と鐘夫翔電信総局長とが締結した「日本・中国間海底ケーブル建設に関する取極」は、ときの田中角栄内閣にとって最初の成果となり、マスコミの注目を浴びた。
この「取極」は、国会での審議を経る「外交協定」ではなく、郵政省と電信総局(のち郵電部)との間で締結された「行政協定」であったことから速やかに締結された。両国の政府機関よる締結であったものの、建設業務はKDDと上海市電信局(のち上海市郵電管理局)が担当することになった。日本側は、KDD主導のもと、ケーブルを製造するOCC、ケーブルを布設するKCS・商船三井・早川運輸、中継器・等化器・端末施設を製造する日本電気や富士通など、いわば民間のオール・ニッポン体制で挑んだ。一方、中国では、この事業が毛沢東や周恩来の批准を得た国家重点建設プロジェクトとして位置づけられ、政府・行政・企業のみならず軍も連携して進められた。建設の過程を振り返ると、日本側はどうもこうした中国ビジネスの奥深さを理解していなかった節がある。
ともあれ、1976年10月、熊本県天草郡苓北町と上海の南匯県とを結んで、戦後30年間途絶していた日中間の海底ケーブル通信が再開され、衛星通信とともに新たな交渉のツールとして機能することになった。戦後初の日中共同事業として発足した海底ケーブル建設事業について、企画段階から完全に運用が停止されるまでを概観すると以下のような流れとなるが、本報告では時間の関係上、1~3までを中心に取り上げたい。
    1.1972年8月~1973年5月:日中政府間協議
    2.1973年~1976年:当事者会議の開催と「設計書」による合意
    3.1976年:日中間海底ケーブルの布設・埋設など一連の工事
    4.1976年10月25日~1981年6月:ケーブルの開通と運用
    5.1981年6月~1986年10月:海底ケーブルの一時的運用停止
    6.1986年:復旧工事
    7.1986年10月~1997年12月:再開通
    8.1997年12月31日:完全運用停止
    【参考】貴志俊彦『日中間海底ケーブルの戦後史―国交正常化と通信の再生』(吉川弘文館、2015年1月末刊行予定)

●発表2
 楊小平(広島大学グローバルキャリアデザインセンター・特別研究員)

●タイトル
 「方法としての記念碑―戦争遺構、慰霊碑、供養塔に見られる戦争体験と地域社会―(仮)」

●要旨
 本発表は、広島県における戦争遺構や慰霊碑、記念碑を事例として、方法としての「記念碑」の視点から、地域社会における戦争体験の記憶の在り方を考察するものである。具体的には、2点からアプローチする。(1)記念碑の象徴性とそれが存立する地域社会との関係性――かつて軍都であった広島で、軍事施設が周辺社会の生活環境に与えた影響、またかつての戦争と現在の市民生活との関係性を検討する。(2)記念碑のナショナリズムとツーリズムにおける文化の越境――ツーリストが非日常としての戦争遺構等の世界に入ることで、場所だけでなく、文化が越境する。なお、「記念碑」という用語は、英語のメモリアルと同じ意味としてとらえ、「碑」が付くモニュメントのほか、戦争遺構等も広く含まれる。
 具体的な事例として、広島平和記念公園にある原爆ドーム・原爆供養塔、似島の「慰霊碑」、宇品港の「平和塔」を挙げる。これらの記念碑は、点在するものとして、〈いま〉の人々にそれぞれの独自の歴史や記憶を語ると同時に、戦争の歴史の〈線〉において連続性があり、また広島の地域社会という〈面〉において関連性を持っている。方法としての「記念碑」は、従来の記念碑の象徴性をめぐる解釈論の孤立性を批判的に捉え、点、線、面の関連性、地域社会の歴史・文化の連続性、そして〈いま〉の人々による文化実践の多様性という3つの視点を方法として、記念碑が我々の生活との融合また文化の創造に与える意味を検討することで、歴史が現在に於ける意味を追求する試みである。

 

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連絡先:佐藤 若菜(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士後期課程)
Email: w-sato [at] asafas.kyoto-u.ac.jp

詳細

日付:
2015/01/31
時間:
1:30 PM - 6:30 PM
イベントカテゴリー:

主催者

佐藤若菜